闘うブログ!レフティ中尾 社会派!

福祉を主なテーマに書いています。よろしくお願いします。

福島原発事故、処理水(汚染水)と処理(汚染)された言葉は元には戻らない

福島第1原発事故、県への迷惑電話1576件、処理水放出後、知事公表」

これは毎日新聞の2023年8月30日の記事のタイトルです。私の知る限り、他の新聞やメディアでも「迷惑電話」という言葉で統一しています。これを見た私はとてもモヤモヤしています。

現場では実際に迷惑を被っていることには違いありません。とは言え「迷惑電話」というワードは主観的すぎるし、感情的です。この言葉を用いることで中国人は乱暴だ、暴力的だと印象づけようとしています。

「いやいや、事実迷惑だし、暴力ではないか」と言われれば、そうだね、と私も同意します。しかし、報道では「言葉」の扱いには慎重になって欲しいのです。例えば「抗議の電話」と書くと「迷惑電話」とはかなりニュアンスが異なるでしょう。

つまり「迷惑電話」と表記するなら「抗議の電話」でもあることを報じるのが公正だと思うのです。処理水(汚染水)が安全なのかどうかは私にはわかりませんが、少なくとも周辺国に同意は得ていないため、抗議をする外国人がいることは当然のことです。

原発事故の処理水は太平洋に拡散されますが、実は現代においては「言葉」もまた広大な宇宙へと拡散されていると私は感じます。処理水が元のタンクに戻らないのと同じく、拡散された言葉もまた私たちの元へは帰らないのです。詩人の石原吉郎の言葉ですが「私たちがことばから見はなされる」のです。言葉の扱いを軽視すると「ことばの方で耐えきれずに、主体である私たちを見はなす」こともあるのです。

石原さんは「人間の声はどこにもとどかない時代です。自分の声はどこへもとどかないのに人の声ばかりきこえる時代です」とも述べています。50年ほど前の言葉ですが、現代のインターネット社会ではより一層これが当てはまることに愕然とします。海へと排出された処理水よりも、処理された言葉、汚染した言葉の方が致命的なのです。

 #原発事故処理水 

 #石原吉郎