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斎藤幸平さんに問う②否定の否定を理解する

斎藤幸平さんの「マルクス解体」。その本はボリュームもさることながら、非常に難解な箇所も多くて、まあ格闘する甲斐があるのです。それでもマルクス本としては、まだ平易なほうかもしれません。今回は少々気になる表現があるので、それを読み解きます。

マルクス用語の一つで、重要なものに「否定の否定」があります。一種の弁証法ですが、マルクスはそれを政治、経済、人類史の法則として理解をしています。また、この法則は自然科学にも当てはめることができるのです。

例えば、糸電話で何故会話ができるのかを説明するのに否定の否定は役立ちます。人間の声はなぜ聞こえるのか。それは空気の振動で伝わるためです。それゆえに遠く離れている場所には音が拡散されて聞こえなくなります。

そこで糸電話を使います。その片方の紙コップに声を出すと、その空気の振動は糸の振動に変わります。糸はもう片方の紙コップでまた空気の振動へと変換されます。糸は空気と違って固体だから、音があまり拡散しないのです。だからある程度離れたところにまで声が届きます

空気の振動→糸の振動→空気の振動

これこそ「否定の否定」です。携帯電話で通話が出来ることや、レコードやCD、ラジオなどで音楽が聴けることも否定の否定で説明ができるのです。

ところが、斎藤さんのおっしゃる否定の否定は何だか明確ではないようです。「マルクス解体」の第七章第三節から引用します。

「資本の本源的蓄積は、第一の否定として、みずからの労働に基礎を置いた個人的所有を解体する。それに対して、コミュニズムは『否定の否定』を目指し、これを通じて『収奪者は収奪され』、人間と自然の本源的統一を再建しようとする」

つまり、斎藤さんは「第一の否定」と「否定の否定」を対立させているのです。そうではなくて「否定の否定」には「第一の否定」が内在されているはずです。つまり、第一の否定とは紙コップの糸の部分で、第二の否定はもう一つの紙コップ。その全体像こそ否定の否定です。斎藤さんのそれは単なる否定です。

人間社会の歴史は必然的に変革されていく、というのがマルクス主義の基礎です。理想的社会(斎藤さんの脱成長コミュニズム)が人類を滅亡から救う唯一の道で、それに従おうと啓蒙するのは、マルクスが批判した「空想的社会主義」と変わらないと思うのです。もちろん、何が何でもマルクスが正しいと言いたいのではありません。ただ、斎藤さんのマルクス解釈には分かりづらい箇所が幾つかあるな、と思うのです。

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