闘うブログ!レフティ中尾 社会派!

福祉を主なテーマに書いています。よろしくお願いします。

女子高生が2人身投げ。人は何故自殺をするのか。自殺を防止できるのか

「真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ」と述べたのはフランスの小説家カミュです。「人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのである」と続きます。そして、それ以外の問題は「遊戯」だと看破します。だから私もその根本問題に挑みます。

私は小説家でも哲学者でもありませんが、自らの自殺願望に慌てふためくことは何度もあります。私の場合は自殺念慮があるときは極度のうつ状態にあり、行動力が全くないために「実行」出来ずにいるだけです。ただ、その時の苦しみは本当に辛いのです。

女子高生が2人でマンションの屋上から身投げするという悲惨な出来事がありました。その背景に何があったのかは、あまり関心はありません。2人は身投げをする以前からクスリを大量に飲んでいて、オーバードーズを試みていました。たぶん、今の市販薬ではそれだけで中毒死するモノは、ほとんどないと思います。2人は楽に死ねる方法をネットで調べていたのでしょう。そしてクスリでは死ねずに苦しいだけなので、身投げを選んだのです。そう言えばネットの無い昔、「完全自殺マニュアル」というベストセラーがありました。時代が変わっても自殺の手段はさほど変わらないのです。

私自身がそうだったのですが、死を決意すると「いのちの電話」などへ助けを求めようとは思いません。そもそも、「いのちの電話」はまず繋がらないのです。折り返しもしてはくれません。今ではオンラインでの相談もあるのですが、それらが自殺を防ぐことに役に立っているのかは不明です。そうした活動が無意味だと言いたいのではありません。

特に若年女性には、非常に生きづらいのが現代社会です。LGBTの権利が認められても、現実では男性は男性らしく、女性は女性らしく振る舞うことを未だに強要されます。この女子高生も「自分の顔が嫌い」だと言っていたようです。若い女性にとって容姿については死活問題なのです。中にはリストカットという自傷行為をする女性がいますが、男性はそうした行為をする人がほぼいないのは何故でしょうか。

自殺は単に社会問題と捉えることはできません。生と死の間にあるのは「おのれ」だけです。おのれの思考が社会の線路からはみ出るのを強烈に嫌うのです。マンガやアニメや映画やテレビゲームでは、主人公は困難を乗り越えてエンディングに向かいます。しかしそれらは困難を乗り越えられなかったケースについては何も教えてはくれないのです。それこそ大事なはずです。

自殺について考えるのは、生きること、その執着について考えることと同義です。危ないことをあえて言いますが、自殺に関して思考を巡らすことには大きな意味があります。作家で画家の坂口恭平さんは、「いのっちの電話」という自殺防止のボランティアをしています。坂口さんはその電話の人が本当に自殺を図ろうとしているのかが分かるそうです。それは不思議なようでいて必然と言えます。推測ですが、坂口さんも自殺念慮に襲われた経験があるのでしょう。そして、誰かに救われたから「いのっちの電話」をしているのです。

私は自殺念慮は誰にでもあるのだよ、と若者たちに伝えたいです。自殺とは最後の抗議、復讐と言えます。なんとも悲しいものです。命は尊いとかではなく、命は軽いもの、儚いものだからこそ守るべきなのだと言いたいのです。そして、楽に死ぬ方法ではなく、厳しくとも生きる方法こそ追求するべきです。最後になりますが、お二人のご冥福を祈ります。

 #自殺防止 

 #カミュ