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焚書に抗議する。KADOKAWAの「あの子もトランスジェンダーになったSNSで伝染する性転換ブームの悲劇」を読ませろ!!

著名人も含めた、この本の出版に抗議した「少数」の人たちは勝ち誇っているようです。しかし私は「焚書」に関わった人たちに、非常に大きな憎しみを持っています。何故なら1冊の本を読むことが叶わなくなったのですから。私にとっては暴力を振るわれたのと同じです。

有名なハイネの言葉「焚書は序章に過ぎない。書物を焼く者はやがて人も焼くようになる」は、その後のナチスの学生たちが、自分らに都合の悪い書物を焼いたことを予見したのです。時代も変わった現代の日本でも焚書という「序章」が現れたのです。まさに小説「華氏451度」の前触れです。

この本の出版を断念したKADOKAWAには、今なお抗議がされています。その上で「焚書というのは国家権力が上からするもので、下から抗議をしたのは焚書とは言わない。出版を停止したのはKADOKAWAの判断であり、私には責任は無い」という同じことを複数の作家が述べています。これは大きな誤りです。焚書とは「下から」するものですよ。ファシズムも同じです。大衆が率先して書物を燃やして、やがて人も焼くのです。

まだ読んではいない本について語る資格は私にはありません。ただ、原著を読まれた方のツイートを読む限り、トランスの人を差別したりする本ではないようです。

主にトランスをするために、思春期ブロッカーを用いたり、性転換手術をしたが、もう元に戻れずに悲しんでいる子どもたちやその親にインタビューをしているノンフィクションです。確かに内容としては、トランス当事者にとって不愉快になるかも、という懸念はあります。だけど、出版を中止に追い込むことが必要な本ではありません。

私はもっと問題がありそうな本を読んでいます。例えば精神科医の原田隆之さんの「痴漢外来」。これは痴漢の常習者を治療するノンフィクションであり、分かりやすい精神医学の本です。そして弁護士である大森顕さんと山本衛さんたちの「痴漢を弁護する理由」は小説です。

これらなど、タイトルだけを見て「とんでもない本だ。痴漢を擁護するのか。女性の敵だ」という反応は間違いなくあります。それでも普通に出版されていますし、この本の著者や出版社が批判に晒されて発禁となったわけではありません。そして私にとって、2冊とも出会えて良かった本なのです。

買ったばかりの岩波の「世界」2024年1月号に小説家の桐野夏生さんのインタビュー記事があります。タイトルは「反社会的で、善なるもの。いま小説を書くということ」です。タイトルだけでニヤニヤしてしまいます。私は「反社会的」というワードが好きなのです。

このインタビューはもちろん、焚書騒ぎの前のことですが、桐野さんはそれの予感をしているようにも思えるのです。ただし、桐野さんは小説のことを述べていて、今回大騒動となったのはノンフィクションだから、やや立ち位置が異なるところには注意が必要です。しかし、そう大きくは変わりないとも思います。

アメリカでは『正義中毒』とでもいうのでしょうか、過去の著作物に対して性差別や人種差別があるといった理由で図書館に置かなくなるとか、部分的な書き換えが行われる場合もあると聞きます」

「(コロナ禍で)戦時中の隣組を思わせるような雰囲気がありました。…日本人の本質を見た気がしました」

「レイプシーンを描くことでレイプを肯定している、と非難されることもあるでしょう」

「(検閲を前にして)まず作家の勇気と、出版社の勇気でしょう。…私たちが強くならなきゃいけないと思います」

「仮に言葉をつかって自分の悪意や差別意識、そういう悪を作品として表現しようと思っても絶対に淘汰されるから、いいものしか残っていかないと思うんです」

引用が長すぎましたが説明は不要でしょう。桐野さんは現代の検閲を「大衆的検閲」と名付けています。下からの検閲と自ずからのファシズムです。

この焚書された本には精神科医岩波明さんが監修しています。推測ですが、議論が分かれそうな箇所には注釈が入っているでしょう。性的な当事者にも、充分に配慮されていた可能性もあります。何故焚書騒ぎが始まったのかは不明ですが、作品ではなくてKADOKAWAに恨みがある作家が中心にいたのではと疑っています。いずれにせよ本当に残念なことです。怒りもまだ収まらないのです。

 

 #焚書 

 #あの子もトランスジェンダーになった