闘うブログ!レフティ中尾 社会派!

福祉を主なテーマに書いています。よろしくお願いします。

精神障害者差別は無くならない。岩永直子さんのインタビュー記事に怒る

これを言っても、大半の方がピンとこないでしょうが、性差別や民族差別が解消されるであろう未来でも、精神障害者差別は無くならないと断言できます。さまざまな理由はあるのでしょうが、一番の原因は、彼らを支えるはずの医師が、精神障害者を蔑視していることに尽きるのではないでしょうか。

多くの医師や医療従事者は彼らを大人扱いしません。彼らの社会的な受け皿となる、就労支援事業所(作業所)や精神科デイケアにおいて、彼らは子ども扱いをされます。悪気があるわけではないのでしょうが、スタッフはそうすることが彼らのためだと信じ込んでいるのです。

そんなことを考えたのは、Twitter(X)において、医療ジャーナリスト岩永直子さん(著作「言葉はいのちを救えるか」で注目されている)による医師の忽那賢志さんへのインタビューを読んだからです。33万viewを超えたそのツイートをたまたま拾ったのですが、精神障害者である私の神経は、ぶん殴られたかのようにダメージを負ったのです。

そのインタビューは、大したことは言ってはいません。忽那氏はコロナにまつわる医療情報を発信しているのですが、それを気に食わない人が、彼をバッシングしているらしいのです。そして、岩永氏はこうまとめます。

「誹謗中傷する人で多いのが、生活保護を受けていたり、精神障害があったり、引きこもりで働いていなかったり、いわゆる『社会的弱者』と呼ばれる人だということがやるせない。匿名で誰かを攻撃しても、自分が救われるわけではないのに」

精神障害者やひきこもりの人たちは、大人しすぎるほど大人しいものです。ただし、自分たちが攻撃されたり、偏見の目で見られたりすれば、そりゃ怒ることはあります。それは健常者もまた同じことです。

コロナワクチンについて発信をした忽那氏は、過剰な非難を受けているようです。中には「殺人予告」をする人もいたようです。そこで50名ほどに刑事告訴民事訴訟を起こそうとしたのです。

私はその事情がよくわかりません。まさか、50人全員が殺人予告をしたわけではないでしょう。住所と氏名を開示請求して、謝罪と損害賠償を請求して、のこりの10人ほどを裁判で争うために弁護士を立てたらしいのです。

忽那氏は、自らのポケットマネーである400万円で裁判費用を作ったそうです。それだけの資産があれば何も怖くないと思うのですが。

忽那氏はこう言います。「『私は精神障害者なので、生活保護なので、引きこもりだから賠償は払えません』という人が多いです」

精神障害者生活保護受給者、引きこもりの方ばかりが、そうした殺人予告や誹謗中傷をしたのでしょうか。仮にそうであれば、彼らの神経を逆撫でするような発言をしたのではと私は疑うのです。他のコロナワクチンを推奨する医師たちが、そうした攻撃を受けたという話はあっても、そんなマイノリティから被害を受けたという話は聞きません。

医師や医療従事者は、確かに精神障害者生活保護受給者を嫌っています。生活保護の人を「ナマポ」と揶揄をするのは定着していますが、精神障害者を彼らは「プシコ」と呼んでいます。プシコとは、本来は精神科のことをさす隠語なのですが、今では精神科の患者を蔑視する言葉なのです。「さっきの患者はプシコだね」という風に使われますが、これはあきらかに患者をバカにした言葉です。

話を戻して、忽那氏がコロナワクチン否定派と闘うのはその立場からすれば当然のことです。ただし、被差別者である彼らをバッシングすることは適切とは言えません。精神障害者のところを「女性」「トランスジェンダー」「在日」「〇〇人」と置きかえれば大問題になるでしょう。

私は忽那氏のその言葉が偏見によるものではと疑っています。誇張があると思います。彼らがコミュニケーションがやや難しいことと、医療が現物支給であることが気に入らないという理屈も少しはわかります。だからと言って、そうした社会的弱者や被差別者を、犯罪者予備軍扱いをすることは慎重になるべきです。ラベリングは社会の分断を招くだけです。

私はコロナワクチンについては否定的ではないのですが、ワクチンに嫌悪する人たちには、医師が丁寧に説明する必要があります。反ワクチン派を「陰謀論者」扱いにすることが、医師の立場からして正しいこととも思えないのです。いずれにせよ、忽那氏が受けた行為や言葉は不適切であっても、私自身もまた彼から言葉の暴力を受けたことも確かなのです。

 #岩永直子 

 #忽那賢志