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老老介護殺人を改めて考える。「内なる植松聖」と対峙する

精神科医、東徹さんのツイートを全文を引用させていただきます。一読しただけでは何を怒っているのか分からないかもしれません。

「冷静に考えて欲しいのですが いくら介護が大変だからと言って 生きていたいと意思表示できる人の殺人を許容したら 中世ならともかく現代の社会は成り立たないと思いますよ。相模原事件どころではありません。いくら介護が大変で 社会保障費が膨大と言っても 人間社会には限度が必要だと思います」

ほぼ同意します。一箇所、相模原事件どころではないというのは疑問なのですが、私も横浜地裁は言語道断な判決を下したという認識です。

2022年11月、神奈川県大磯町の漁港にて、被告は長年介護をしていた妻を車椅子ごと海に突き落として殺害したのです。老老介護の介護者が要介護者を殺害する事件は2021年にもありました。その被告は懲役3年執行猶予5年の判決でした。

横浜地裁小笠原支部による判決は、懲役3年の実刑判決です。わたしは極刑にしろとは言いませんが、温情が過ぎた判決だと思います。

以前、当ブログでも引用しましたが、毎日新聞が取材したときの被告の言葉です。

「施設に入ると妻が苦しむと思い込み、自分で介護することしか頭になかった。施設に入所させて、二人で生き続けることが正しかったのだろう。でも当時はとにかく混乱していた。愛する人を、最後は嘘をついて殺してしまった。どんな刑になってもしっかりと罪を償いたい。そして、いつか外に出られるようになったら、真っ先に墓参りしたい」

被害者は施設に入ることに前向きで、ケアマネジャーもそれを勧めていました。また、被告の負担を軽くするための周囲のサポートを受け入れなかった理由もハッキリしません。被告は結果として妻の気持ちを無視したのです。殺害することへの強い意志があったことは間違いがありません。たぶん、何か口にはしない理由があったのです。何かの弾みで口論になったとか。

要介護者への殺害に、酌量のある判決を下すことが全く理解できません。殺人事件を美化するのはテレビドラマだけの話にして欲しいです。

思うに、相模原事件の教訓として、誰の中にも「内なる植松聖」が存在しているのです。優生思想は植松だけが持っているのでは無く、多かれ少なかれ皆が抱えています。「生産性が無い人」を蔑視する気持ちもまた皆が持っているのです。もちろん、私も含めてです。そんなことは無いと思われる方が大多数でしょう。そうかもしれません。

しかし、「内なる植松聖」と対峙すること無く、老老介護殺人を「美談」とするのはやはり危険です。介護をすることが重荷ならば、ケアマネジャーに頼ることで解決できます。東徹さんのおっしゃる通り、どんな理由であれ殺人は許容できないのです。

 #老老介護殺人   

 #内なる植松聖