闘うブログ!レフティ中尾 社会派!

福祉を主なテーマに書いています。よろしくお願いします。

過労死とブルシットジョブと「酸っぱいブドウ」

広告代理店、電通の社員だった高橋まつりさんが過労自殺をされてから6年が経ちました。当時、衝撃が走ったニュースでしたが、疲労困憊した高橋さんを周りの人たちが何故助けなかったのか、今でも不思議です。

電通にも労働組合はあります。産業医もいるはずです。でも彼らは高橋さんの味方にはならなかったのです。

一日20時間働いたこともあった。家にも帰れない。睡眠も満足に取れない。上司からのパワハラもあった。挙げ句、「女子力が足りない」などと酷い言葉を投げつけられる。(女子力とは非常にふざけた言葉です)

この痛ましい事件の後、日本の企業は変わったのでしょうか。残念ながら、今でも過労自殺は存在します。2019年には過労で死亡した(労災認定を受けた)民間の労働者は174人です。うち、過労死が86人、未遂を含む自殺は88人です。おそらく、背後には過労やパワハラなどで働けなくなり、退職された人も大勢いるのでしょう。

さて、アメリカの文化人類学者のグレーバーによるベストセラー「ブルシットジョブーークソどうでもいい仕事の理論」では「糞みたいな仕事」が何故存在するのか、そんな仕事なのに高給だったりするのは何故か、といった分析をしています。ここで広告代理店の仕事を「ブルシットジョブ」だと決めつけるのではありません。そうではなくて、どんな職場にも多かれ少なかれ「糞みたいな仕事」は存在していて、多くの場合、立場の弱い新入社員や女性社員に割り振られているように思うのです。やりがいのある仕事と糞みたいな仕事とでは、同じ労働時間でも肉体的、精神的な負担は変わってくるでしょう。時間が早く過ぎる仕事と、時間経過が遅く感じる仕事は明らかに存在します。

つまり、グレーバーの言うブルシットジョブとは、糞みたいなどうでもいい仕事というよりも、非人間的な仕事と言い換えられるのではないでしょうか。マルクス流に言うなら「疎外された労働」です。

社会主義を目指せ、とは言いません。また、グレーバーの言うように、ベーシックインカムで解決するとも思えません。そこまで大鉈を振るわなくても、それぞれの職場で解決できることです。

イソップ童話の「酸っぱいブドウ」のキツネのように、ブドウが取れない(仕事が終わらない)でもいいじゃないですか。いつもいつも100点の働きをせずとも、70点の日があっても構わないでしょう。自分で自分の評価を落とす必要はないのです。私も過労で倒れた経験があって、いま生きているのはキツネのようにブドウに執着しなかったからです。

もちろん、根本的には恒常的に残業をさせる企業や、パワハラやセクハラのある職場へのペナルティは必須ですね。あとは、最後の命綱である、「いのちの電話」が全く繋がらないのも改善して欲しいものです。

#過労死

#ブルシットジョブ

#酸っぱいブドウ