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闘う書評!「コロナ時代のパンセ」辺見庸 抜け落ちた2015年

配達されたこの本を受け取り、やや乱暴に袋を破り本を開けました。辺見庸さんの新刊は(月並みな表現ですが)私にとって特別なものです。目次に目を通して「2015年」が始まる46ページから読み始めました。81ページで「2015年」は終わるのですが、そこまで読み終えてなんだかガッカリしました。と同時に辺見さんは変わったのかなぁと落胆しました。

もう過去のことであり、ほとんどの人が振り返らない国会前デモがありました。「シールズ」の学生たちを、そして彼らを応援したマスメディア、政治家、学者、著名人らをブログで辛辣に批判したのが辺見さんでした。

私は辺見さんに再度シールズをけちょんけちょんに叩いて欲しいのではありません。そうではなくてシールズを御輿に担いだ連中の無責任さを問うて欲しかったのです。

あの時、シールズのデモ隊が自分たちの気に入らないデモ隊を警察に頼んで排除しました。YouTubeで観ましたが、女性がビラを配布していたのを力ずくで妨害したのです。警察と仲良しこよしの反戦運動なんてあり得ません。しかし、この件を暴いたのは辺見さんだけです。

あのデモのこと、そして「反戦運動」のことは辺見さんの手で記録に残して欲しかったのです。繰り返しますがシールズの学生たちを批判するのではなく、マスメディアや政治家、学者、著名人らの語る「民主主義」や「反戦」のいかがわしさを斬って欲しかったのです。

シールズはとっくに解散されました。しかしシールズを利用して消費した挙句、何も責任を負わなかった人たちがいたことは、今でも教訓になると思えるのです。それこそ民主主義を作るために。