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民主主義は到達すべき理想ではなく、到達すべき理想を叶えるための制度だ。

実は、日本国憲法には「民主主義」という言葉が一度も出てきません。「民主制」とか「民主的」という言葉も見当たりません。それどころか、この憲法では日本とはどんな国なのかも定義していません。ほかの国の憲法はどうなのか、フランス共和国憲法第一条を見てみましょう。

「フランスは、非宗教的、民主的、社会的な、分割し得ない共和国である」なるほど、フランスは「民主的」な国だと明記しています。

何故、日本国憲法には「民主主義」という文言がないのでしょうか。というよりも、この憲法故に、日本にとって民主主義とは何なのかが曖昧になっているのかも知れません。

思想信条を問わず、日本が理想的な国だと思っている人は少ないでしょう。それなのにこの国は言論が軽視されて、感情が先走るところがあります。元首相が銃殺されるという言論の危機も、いつの間にか、その政治家の国葬の是非という論点のすり替えをされたのです。これではテロリストは高笑いです。

あのテロは不幸なことではありましたが、言論と暴力について考え直すきっかけになるはずでした。それなのに、「テロには屈しない」と発言された著名人はどれほどいたでしょうか。このままでは、日本を突き動かすには言論よりもテロが有効だ、ということになります。

テロの脅威はもちろんですが、言論の自由が脅かされる現状もまた恐ろしいのです。NHKなどの放送局や各新聞社への非難をする著名人が増加しています。そして彼らが頼るのはYahooニュースなどの無料コンテンツです。ニュースや情報がタダで入手できることが、必ずしも良いこととは思えません。このままでは、マスメディアは近い将来に滅亡するでしょう。

民主主義の最も重要な要素の一つは言論でしょう。つまり、議論をすることのはずです。SNSなど、そのための装置は揃っています。今まで理想を実現するどころか、理想を語ることすら満足に出来なかったのは、民主主義という制度、道具が機能していなかったからです。カルト宗教に対峙するだけでは、日本は根本的には変わらないのです。

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 #テロと言論