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正論?暴論?エマニュエル・トッドの日本核武装論

文藝春秋2022年5月号の記事です。「メディアが冷静な議論を許さない」とトッドは述べています。その通りで、日本でもロシアを擁護したり、ウクライナアメリカ・NATO)を批判することは、ほぼできないのです。戦争を許さないことは大前提だとしてもです。

まず、トッドはアメリカの国際政治学者のミアシャイマーの発言を取り上げます。「戦争の責任は誰にあるのか。米国とNATOにある」これは私も再三述べたことです。ウクライナNATOに擦り寄ったこと、同時にNATOがロシアに圧力をかけたことがなければ、戦争は起こらなかったでしょう。もちろん、ロシアが全面的に正しいのではありませんが。

この戦争は実質的にロシア対NATOになっています。ウクライナにはNATOから次から次へと武器が供給されています。対戦車ミサイル、戦車、軍事用ドローンなど。それらの一部はウクライナの民間人にまで手渡されていて、メディアはそのことを「美談」にしています。そして戦争は長期化するのです。

トッドはこの戦争はロシアだけではなくて、アメリカにとっても死活問題だと指摘します。ロシアが経済制裁に耐えられるかどうかと同時に、アメリカもまた、この戦争によって体力がもたなくなるかもしれません。そのため、このままでは第三次世界大戦が起こり得ます。いや、すでに始まっているのです。

トッドは欧米の「ロシア嫌い」を分析します。欧州を維持するにはロシアという外敵が必要なのです。NATOなんてもはや無用なのにもかかわらず。欧米でも日本でも、ロシアは理解不能のモンスターとして報道されています。そうしてアメリカとNATOの強行姿勢が正当化されて「暴力の連鎖」が始まるのです。それでダメージをもっとも受けるのは実は欧州なのです。

トッドは戦争はもはやアメリカの文化やビジネスの一部となっていると述べています。何故ならどこで戦争が起きたとしてもアメリカ自体が侵略される恐れはないからです。だからアメリカが何をしでかすのかが最も予測不能で危険です。そこでトッドは日本の安全保障について語ります。

こうしたアメリカの行動の危うさが日本にとって戦争のリスクになると言うのです。言葉を変えれば日米同盟はさほど当てにはならないということです。だから日本は核武装をすべきだとトッドは考えているのです。

核を持つことはパワーゲームに参戦することではなくて、逆にパワーゲームの埒外に自らを置くことを可能にすることだそうです。核兵器が核戦争を呼ぶのではなくて、むしろ通常戦(核を使わない戦争)を可能とするらしいのです。急に話が飛躍したように思えますが。

そもそも、日本のどこに核兵器を設置するのでしょうか。人が住めない地域があるアメリカやロシアと違って、日本には危険な兵器をおく場所が離島にしかありません。それはメチャクチャにコストがかかるでしょう。トッドも日本の核事情は分かっているはずです。例えば、とある政治家が核武装を公約として、果たして国民に支持はされるでしょうか。

トッドの核武装論以外の分析は同意できるのです。アメリカの核の傘や「核シェアリング」が役に立たないであろうことも分かります。日本には独自の国防が必要としても、この国には核兵器は不要です。そう信じています。

 #エマニュエル・トッド

 #核武装