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闘う書評!フロム「愛するということ」⑤神への愛とは身をもって愛と正義を生きること

今回は宗教的な愛、神への愛です。神への愛も他の対象への愛とはなんら変わらないものです。

ところでユダヤ教キリスト教イスラム教などは「父権的な宗教」です。この場合の父親(神)はその「子どもたち」に規律や掟を作り、父親の要求に応えた者に愛を与えます。

その父権的な宗教の前段階には「母権的な宗教」がありました。母親(神)は「子どもたち」を無条件に愛します。母親の前では子供たちは平等なのです。

こうして様々な宗教が母権的な宗教から父権的な宗教へと発達したのです。

しかし、神への愛には父権的、母権的な側面だけではなくて、もう一つ個人の成熟度が関係しています。成熟した人にとっての神は父権的なものを超えて、正義や真理、愛の原理の象徴となります。神は父親でも人間でもないのですから。

「(神は)人間の内にある種子から育つであろう花を象徴するものになった。だから神は名前を持つことができない。(略)神は人間でも物でもないのだから、名前をもてるはずがあろうか」

だから神はモーゼに「私の名は『私はある』という者だ」と告げたのです。「神は賢いとか、強いとか、善いということは、神は人間であることを暗に示している」わけだから、神に否定的な属性をあげて、そうではないと述べることしかできないのです。そして、真に宗教的な人は神に対して何も求めません。その人は「自分が神について何一つ知らないことを承知している」のです。

 

#フロム #愛するということ