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闘う書評!フロム「愛するということ」③赤の他人を愛するときこそ、愛は開花する

「愛するということ」の訳者は鈴木晶さんです。1991年に出版されたのですが、2020年に新訳が出ました。読むとかなりの変更があり驚きます。特に注意が必要なのは二箇所あります。「兄弟愛」→「友愛」と「異性愛」→「恋愛」の変更です。

まず、「兄弟愛」ですが、読み進めると血の繋がった兄弟のことに限らず、友愛、博愛、同朋愛、人類愛といったスケールの広いものだと理解できます。

そして、「異性愛」ですが原文では「erotic love」です。それを「恋愛」と変更しています。まあ、「異性愛」だと「同性愛」を排除するニュアンスがあるために変更したのでしょう。

フロムは同性愛を「逸脱」としています。同性愛者や、愛のない異性愛者が「孤立の苦しみを味わう」と述べてもいます。けれどもフロムには、同性愛者を否定したり非難する意図は、私には感じられません。

ただ、日本語としての「恋愛」には恋をするというニュアンスが強くて、結婚しているパートナーに「恋愛」をするとはあまり言わないと思います。思うに、適切な言葉は「性的な愛」でしょうか。

寄り道が長くなりました。愛とは「愛する人」以外、誰のことも愛さないことで、それが愛の強さを計るものだと信じられています。それをフロムは強く否定します。

「ひとりの人をほんとうに愛するとは、すべての人を愛することであり、世界を愛し、生命を愛することである」

「すべての人」とは文字通りの意味です。赤の他人であれ、罪人であれ。自分を敵視する人も含まれています。

もしも、ひとりの人を愛していると言いながら、他の人を愛さないのなら、その愛はニセモノです。

「自信を持って『あなたを愛している』と言えるなら、『あなたを通して、すべての人を、世界を、私自身を愛している』と言えるはずだ」

そこにあるのは連帯意識です。だから助けが必要な人がいれば手を差し伸べます。また、私自身も誰かから助けられることもあるでしょう。そして、必ずしも助ける人が立派な人で助けられる人が無力な人ではありません。皆が人としての尊厳があるのです。フロムは旧約聖書を引き合いに出します。

「自分の役に立たない人を愛するときにこそ、愛は開花しはじめる。意義深いことに、旧約聖書において、人間がおもに愛するのは、貧者、よそ者、寡婦、孤児、そして国の敵であるエジプト人エドム人である」

だから、愛は平和を生み、貧困を解消するのです。そう私は信じています。

 

#フロム #愛するということ