闘うブログ!レフティ中尾 社会派!

福祉を主なテーマに書いています。よろしくお願いします。

「さよならNHK」「さよなら朝日新聞」に賛同出来ない理由。NHKラジオが文鮮明を称えたというデマを非難する

Twitterで「さよならNHK」「さよなら朝日新聞」というハッシュタグが散見しています。それも保守陣営からではなくて、左派リベラルの著名人やその支持者がツイートしているのです。どういうわけでしょうか。

まずはNHKです。受信料を払いたくないという人々は確かに増えています。これは番組自体には必ずしも不満があるとは言えないのでしょう。しかし、悪質なデマもあります。ひろゆきさんのツイートを全文引用します。

NHKラジオが統一教会文鮮明の功績を称えて、被害には一切触れず。北朝鮮の弔文を読み上げ『北朝鮮外交部は“民族の和解や団結のために傾けた文氏の努力と功績は末永く追憶されるだろう”としています。文氏は自動車の生産やホテル事業を手掛けたことで知られ』」(原文ママ)(NHKラジオのリンクを貼っています)

これは北朝鮮が没後10年の文鮮明の偉業を称える電報を送った、という事実を報道したものです。統一教会北朝鮮とも交友関係にありますよ、という意味です。NHK統一教会文鮮明を称えたのではありません。

これを間に受けた、匿名の人(ジャーナリストの望月衣塑子さんや共産党関係者にフォローされている)のツイートが酷いです。全文引用します。

「もう『NHKにはEテレがあるから』『いいドキュメンタリーをやっているから』といった、感傷左翼の擁護論は成り立たない。文鮮明をたたえた以上、NHKは全部署がカルト団体の側にあり、公共の敵・人民の敵である。NHKのバッジをつけた輩に人権はない」

デマを信じ込むことは百歩譲っても、「全部署がカルト」とか「人権はない」とは暴言にも程があります。報道の中身を批判する権利は当然ありますが、報道機関そのものを敵視するのは言論弾圧です。

また、作家の青木俊さん(こちらも望月衣塑子さんや共産党関係者、週刊金曜日にフォローされている)のツイートを引用します。朝日新聞を非難しています。

朝日新聞の個々の記者は能力が高いというツイートに対して)「最近の朝日はそれさえも大きな疑問符が付く。ペラペラの中身の薄い記事が頻出する。若い記者の何が言いたいのかさっぱりわからない迷走駄文が散見される。記者やデスクの能力が、以前の朝日とまるで違う。取材力も筆力も明らかに落ちている」

以前なら朝日新聞と言えば左派リベラルのメディアの代表格です。それを右派ではなくて左派の著名人から批判されるのは、10年程前には考えられなかったことです。全ての新聞社ではなくて朝日を標的にするのは近親憎悪なのでしょうか。

NHK朝日新聞を非難する人々の背景には「貧困」があるのは間違いありません。つまり、NHKの受信料や新聞の購読料を払えなくなっている人が増えているのです。インターネットの無かった時代には、テレビや新聞は生活に欠かせない情報源であり、娯楽の友でもあったのです。しかし、今となっては、無料で見られるYouTubeや Yahooニュースによって、NHKも新聞も存在意義が問われることになります。

それでは、このままNHKや新聞が滅んでもいいのでしょうか。私はそうは思いません。YouTubeもYahooニュースも、多くはテレビや新聞、雑誌などがソースになっています。だから、インターネット上の報道には取材力が欠けていると言えます。また、NHKラジオの報道をねじ曲げて発信する人がいたように、情報の信憑性も怪しいでしょう。私自身にとってもNHKと新聞は信頼できるニュースソースです。だから、NHKや新聞の価値は低下しても、決して消え去ることはありません。私はそう信じています。

 #さよならNHK 

    #さよなら朝日新聞 

 #NHKラジオと文鮮明 

 

 

あらためて死刑制度に反対する。犯罪被害者・遺族の人権はどうなるのか、についての考察

秋葉原通り魔事件の加藤死刑囚への死刑執行を受けて、仁藤夢乃さんが、死刑反対のツイートをしました。そして私もまた、国家が人を殺めることに反対するとツイートしたのです。…が、炎上しましたよ。仁藤さんのツイートは激しく炎上し、私には10数件の罵倒リプライを浴びせられました。私のはプチ炎上ですね。それでも、めっちゃ打ちひしがれましたよ。Twitterは怖いです。

でも、気づいたことがあります。死刑制度に賛成する人々の理屈はほぼ一つなのです。「被害者の家族や友人はどうすればいいのですか?遺族に残酷じゃないですか?」

それでは訊ねますが、被害者の家族・友人の気持ちをあなたは100%共有できるのですか?

被害者の家族・友人の思いを想像することは必要だけれど、自分の想像なんて、遺族の思いには、絶対に届くことはないのです。その辛さは当事者にしか分からない、筆舌にし難いものです。仮に私が遺族になれば、怒りと憎悪で気がふれるでしょう。しかし、当事者ではない人がその感情を共有して一体化することは不可能です。それは一種の錯覚でしかありません。

世論は(特にTwitterでは)物事を単純な二項対立に考えます。善と悪、敵と味方、左翼と右翼、加害者と被害者というように。その単純化はさらに加速します。何故なら、単純化すればするほど「いいね」が増えるからです。死刑反対は「悪」だから炎上するのです。

裁判官が死刑を判決するのも、その世論に流されているからではないでしょうか。死刑を回避すれば、激しく叩かれます。司法もまた、ポピュリズムに支配されるのです。

被害者遺族の人権と、罪人の人権はシーソーのように対立するものではありません。どちらも大事です。死刑制度のようなセンシティブなことは、もっと議論を重ねることが必要です。 

森達也さんの「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい を参考にしました。ありがとうございます。

 #死刑反対 

 #被害者遺族の人権 

 

 

 

 

食肉税導入?金持ちだけが肉を食べ、貧乏人は豆や昆虫を食う時代がやってくる

毎日新聞、「『クライマタリアン』という生き方」2022年8月8日の記事です。クライマタリアンとは気候変動に配慮した食生活を実践する人のことです。使い慣れた言葉ではエコロジストの一種でしょうか。牛を飼育すると、大量の二酸化炭素が発生するので、その代わりに豆や昆虫を食べようということです。

クライマタリアンは畜産そのものを否定しているのではありません。(そこがよくわからない)ただし、肉を食べるには税金を払うという「食肉税」の導入を目指しているのです。タバコ税のようなものですね。

毎日新聞マルクス研究家の斉藤幸平さんも食肉税に無批判です。私は反対ですよ。焼肉もハンバーガーも牛丼も好物ですから。

話は少々それます。斎藤さんの「人新世の『資本論』」は読んだのですが、どうにも胡散臭いのです。何故なら階級間の格差を解消することには消極的なので。人新世って要は、地球環境のためには消費をガマンすることです。それ自体は百歩譲れても、貧困そのものが解決されないでしょう。食べ物やキレイな飲料水が手に入らない地域の人に「地球環境を守ろう」と言っても無意味ですから。

最近、昆虫食が話題になりますが、これはワナです。昆虫は高タンパクで低脂肪だと言うけれど、昆虫には牛肉のような旨味はありません。私は食べたくありません。

別のニュースで浜松市の小学校でセミを捕まえて調理して食べるという授業があったようです。生徒たちは「美味しい!」「エビみたい」と喜んだとありますが、これは「洗脳」です。エビの方が美味いに決まっています。全く、戦時中の日本じゃあるまいし。

そしてハンバーガーショップでは牛肉0%のハンバーガーセットが売られるでしょう。セットで500円位で。牛肉100%のセットは2000円です。いえ、冗談抜きにそうなります。

環境保全には別の方法で取り組めば良いのです。みなさん、牛肉や牛乳、チーズなどの乳製品は今のうちに食べましょう。私はこれからマクドナルドに行ってきます!

 #クライマタリアン

 #食肉税

 #斉藤幸平

 

 

バス車内のベビーカー騒動②暴走する正義と歪んだフェミニズム

2022年8月6日のブログの続きになります。簡単に振り返ります。

⚪︎JRの駅にて、私は女性に絡まれ、警察を呼ぶハメになった。なんと7〜8人の警官が来るが、一歩間違えれば逮捕されていたかもしれない。

⚪︎女流作家がバス車内でベビーカーを巡ってトラブルがあったらしい。目撃者も被害も無いのに、何故かTwitterでバズる。テレビでも報じられる。多くの人が作家さんに共感していることに危うさを感じる。

⚪︎こうした世論は冤罪を許すかもしれない。SNSはリンチもできるツール。

といったことを述べました。ただ、私の舌足らずもあったのと、かなり重要なことでもあるので、いま一度考えることにします。

私は作家さんを非難することよりも、その「事件」を全く疑わずに、「加害者」男性を吊し上げにする世論が怖いのです。男性は存在しているのか、その暴力や暴言は事実なのか、そうした裏付けをすっ飛ばして男性を糾弾することは正しいとは思えません。それを許すと冤罪を招きます。その男性は弁解も許されてはいないのですから。

乗客は5人いたのに目撃者は1人もいません。車内でトラブルがあればバス運転手が間に入るでしょうし、そうでなくても目撃証人にはなるでしょうが、それもありません。作家さんはその場で110番もせず、後に警察にいきますが、被害も無く、証人もいないのだから事件になるはずがありません。警察から、バス会社に連絡するようにと言われますが、その指示にも従っていません。理由は分かりませんが。

その後の作家さんのツイートです。「ベビーカーにもだけど、そもそも現代の都市ってお年寄りや障害者含め身体的弱者にものすごく冷たく作られているよね。妊娠中も移動が大変だった。まるで『健康的な若い男性』しか人口にカウントされてないみたい」

街中の鉄道やバス、タクシーにはベビーカーでも車椅子でも乗ることができます。デパートやビルにもエレベーターが設置されています。まだまだ行き届かないことや課題もあるでしょうが、「身体的弱者にものすごく冷たい」というのは認知の歪みでしょう。また、バスに車椅子で当たり前のように乗車できるのも、障害者による闘いの成果です。(青い芝の会の川崎バス闘争)。

作家さんは自身を「フェミニズム」だと思っているのかもしれませんが、それは男性を嫌悪することではなくて、女性、男性共に性差別を受けないようにしよう、ということのはずです。作家さんは、女性が子どもを産むには男性を(文字通りの意味で)食べなければならないという小説を書いたようです。昔、とある小説(作家もタイトルも覚えていない、つまりその程度の小説)で、男性が妊娠、出産をする、女性が男性をレイプするという社会を描いていましたが、こうした作品はむしろ、男性優位社会を補完するような気がします。男性が支配する社会をどこかで容認しているから、その逆説的な社会を夢見ているのです。また、強調したいのは、SNSで「正義」を暴走させることはやめよう、ということです。

作家さんは防犯のために催涙スプレーを購入したようですが、間違ってもバスの車内でそれを使わないで欲しいです。大変なことになりますからね。

 #ベビーカー騒動

 #暴走する正義

 

 

 

バス車内のベビーカー騒動。事実の裏付けのない事件がSNSでバズる危うさ

去年のある日午前10時頃、クリニックに通うために最寄りのJRの駅に行った時のことです。きっぷを買おうと券売機まで歩いていくと、逆方向から駆け足でこちらに向かってくる40代くらいの女性と接触しそうになりました。券売機に割り込んできたのです。避けなかったらぶつかっています。

「あぶねっ」と反射的に声が出ます。女性はこちらに向かいもせずにきっぷを買うのだが、連れの男性が後から来て凄まれます。「危ないのはそっちだろ、われ?」

「俺を誰だと思っている?殺すぞ、われ」ここで謝ると突き込まれる可能性があります。ぶつかった、怪我をした、賠償しろと。初めからその目的なのかもしれません。

相手が暴力を振るうかもしれません。そのため、改札の駅員に「警察を呼んで」と叫びます。こちらはケンカをする意図はないのだから、そうするしかないでしょう。

警官が7、8人来ます。相手が先に、警官にどうのこうのとまくし立てます。おいおい、警察を呼んだのは私なんですが。その間に「防犯カメラがあればチェックして欲しい」と別の警官に頼みます。券売機付近にはたぶんカメラはあるはずです。

そしてことのあらましを警官に話します。警官は二手にわかれています。離れたところにいる女性の声がキンキンと聞こえます。「…それであの人が私を突き飛ばしたのよ。これ、ホントのことよ」。突き飛ばしていないし、触れてもいません。恫喝されたのはこっちなのですが。

防犯カメラを見たらしい警官に尋ねます。「ぶつかってましたか?ぶつかっていないでしょう?」警官は「分からない」と一言。野球のクロスプレイじゃああるまいし、分からないってどういうこと?

私は事件にしたいわけではないけれど、誤解されるのは困ると警官に伝えます。それだけの事なのに、ずいぶんと時間を食います。そして、警官にカメラで全身写真を撮られておしまい。二人組も解放されます。時計を見ると11時半。クリニックに間に合わないじゃないか。午後の診察は4時からだし。まいったな。

このことを思い出したのは女流作家のバスでのベビーカー騒動をニュースで見たからです。事実なのかどうか確証がないことに共感する人が多いけれど、作家さんが勘違いをしたとか、妄想をしたという可能性はゼロとは言えません。

バス内でのトラブルがあれば運転手は間に入る責任があるし、そうでなくとも目撃証人にはなってくれるはず。その場で110番しなかった理由も分かりません。後に警察に届けでて、器物損壊でも暴行でもないと言われたようですが、そりゃあそうでしょう。

ベビーカーを蹴った男性は存在するのかどうかは、誰にも分かりません。何故こんなことを言うのか。その理由は単純で、冤罪になりたくないからです。作家さんの証言は何も裏付けはありません。それなのにニュースやTwitterでバズるのは危険すぎます。SNSはリンチもできるツールです。もちろん、女性や子どもへの暴力は言語道断だということは大前提です。

 #ベビーカー騒動

 #SNSバズる

 #冤罪

坂口恭平さん、メンタルクリニックを開業予定!

坂口恭平さん(作家、画家、いのっちの電話の人)がツイートしました。全文引用します。

「いま精神科の病院を作りたいと思ってて、300万くらいのお金でおれ自分で全部建物内装だったらできるから作ろうと思ってて、独立したい精神科医募集しまーす^_^薬をほとんど投与しないで、みんなで無茶苦茶話を聞いてあげる病院作ろう^_^障害年金生活保護も取りやすくしてあげて」(坂口さんのおっしゃる病院はクリニックのことだと思うので以下クリニックと表記します)

実現して欲しいですね。クリニックなら医者じゃなくても経営できるので、開業費用があるならなんの問題もありません。

とは言え、精神科医は雇う必要があります。クスリをほとんど使わない、というスタンスに共感してくれる精神科医を見つけるのは難しいでしょうけれど。

「無茶苦茶話を聞く」スペースを提供するなら、精神科デイケアも作るのが良いでしょう。患者さんとスタッフで協力して、ご飯を作ってみんなで食べると楽しいですね。

坂口さんのもう一つのツイートの一部「なんで病院を実際に作りたいかというと、保険適用のカウンセリングが受けられるようにしたいから」

これは難しいかもしれません。現状では臨床心理士公認心理師がカウンセリングをすると保険適用外になりますので。

でも、裏ワザがあります。デイケア臨床心理士公認心理師を配置して、個室でカウンセリングをすれば、患者さんはデイケア利用料だけの負担でオーケーです。(たぶん)。

まあ、デイケアのスペースとか、臨床心理士などの人件費を考えると黒字にするのは難しいかもしれません。とは言え、坂口さんは作家で画家なのだから、クリニックの経営と並行して他のお仕事もできるでしょう。クリニックで患者さんと過ごせば、インスピレーションも湧くでしょうから。

そう言えば、坂口さんは畑も所有しているので、クリニックのそばにも畑を作るのも楽しそうです。患者さんと一緒に耕すのです。

坂口さんの構想するクリニックは、首都圏や大都市よりも地方都市のほうが良さそうです。自然の中で山か海に近いところで。患者さんも坂口さんと一緒に、文章を書いたり、絵を描いたりできれば楽しいでしょう。患者さんもスタッフも、みんなが幸せになるメンタルクリニックを作って下さい!

 #坂口恭平

 #メンタルクリニック

 

表現の不自由展 チケット買いました!

2022年9月10日、11日に神戸で「表現の不自由展」が開催されることを知り、「おおっ、これは見逃せないな」と速攻でチケットを買おうとしました…が、チケットどこで手に入るの?

新聞やネットでは8月1日から受付が始まるとは書いてあるものの、チケットの入手方法が記されていません。「表現の不自由展」のホームページにも電話番号やメールアドレスがありません。おいおい、どういうこと?

そして、ピーティックスにてチケット販売していることを突き止めたのが8月2日午前1時。出遅れたけれど、まだチケットが残ってて、無事に買えました。ふぅ。

会場は非公開です。もちろん神戸市内なのでしょうが。のちに知らせてくれるわけですね。秘密結社の集会みたいです。ワクワクしますね。

もちろん、「表現の不自由展」には抗議活動があって、物議を醸していることは知っています。しかし、反対する人も実際に展示物を己の目では見ていないのです。情報や記号で知っているだけです。

特に問題となっているのは昭和天皇の写真を燃やす映像と、平和の少女像(慰安婦像)の二点です。これらについて何かを語ることは今の私にはできません。この目で見ずに分かった気になるのは危険です。また、これらの作品が「芸術作品」なのか、それとも単なる「政治的プロパガンダ」なのかも見極める必要はあるでしょう。

会場では、写真を撮るのはいいけれど、それをSNSにアップすることは禁じられています。炎上の防止のためでしょうが、これもまた「表現の不自由」のような気はします。9月10日、行ってきます!

 #表現の不自由展