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あらためて死刑制度に反対する。犯罪被害者・遺族の人権はどうなるのか、についての考察

秋葉原通り魔事件の加藤死刑囚への死刑執行を受けて、仁藤夢乃さんが、死刑反対のツイートをしました。そして私もまた、国家が人を殺めることに反対するとツイートしたのです。…が、炎上しましたよ。仁藤さんのツイートは激しく炎上し、私には10数件の罵倒リプライを浴びせられました。私のはプチ炎上ですね。それでも、めっちゃ打ちひしがれましたよ。Twitterは怖いです。

でも、気づいたことがあります。死刑制度に賛成する人々の理屈はほぼ一つなのです。「被害者の家族や友人はどうすればいいのですか?遺族に残酷じゃないですか?」

それでは訊ねますが、被害者の家族・友人の気持ちをあなたは100%共有できるのですか?

被害者の家族・友人の思いを想像することは必要だけれど、自分の想像なんて、遺族の思いには、絶対に届くことはないのです。その辛さは当事者にしか分からない、筆舌にし難いものです。仮に私が遺族になれば、怒りと憎悪で気がふれるでしょう。しかし、当事者ではない人がその感情を共有して一体化することは不可能です。それは一種の錯覚でしかありません。

世論は(特にTwitterでは)物事を単純な二項対立に考えます。善と悪、敵と味方、左翼と右翼、加害者と被害者というように。その単純化はさらに加速します。何故なら、単純化すればするほど「いいね」が増えるからです。死刑反対は「悪」だから炎上するのです。

裁判官が死刑を判決するのも、その世論に流されているからではないでしょうか。死刑を回避すれば、激しく叩かれます。司法もまた、ポピュリズムに支配されるのです。

被害者遺族の人権と、罪人の人権はシーソーのように対立するものではありません。どちらも大事です。死刑制度のようなセンシティブなことは、もっと議論を重ねることが必要です。 

森達也さんの「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい を参考にしました。ありがとうございます。

 #死刑反対 

 #被害者遺族の人権