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「これは差別じゃなくて区別だよ」に反論します

「これは差別じゃなくて区別です」「差別と区別は違います」という言い回しを好む人たちは一定数いらっしゃいます。例えば、在日中国人や在日韓国・朝鮮人に向けて用いることはよく耳にします。「人種差別はやめましょう」「いいえ、区別しているだけです」というように。

女性や障害者、性的マイノリティなどに使うこともあるかもしれません。「〇〇医大では入試で女性差別をしている」「いいえ、女性は結婚や出産で職を離れるから区別していいのです」

私は思うのです。「区別」も立派な「差別」ですよ。差別≒区別です。

最近では「人種区別派」は高等なロジックを用います。なんと、人種差別撤廃条約を持ちだすのです。少し長いですが、一部引用します。

第1条の1「『人種差別』とは人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場への人権及び基本的自由を認識し、共有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するものをいう」

第1条の2「この条約は、締約国が市民と市民でないものとの間に設ける区別、排除、制限又は優先については、適用しない」

つまり、「人種区別派」は市民と市民でないもの(つまり外国人)を区別、排除、制限をするのは、人種差別撤廃条約で認められている、というのです。一見、一理ありそうです。

一つの例を述べます。大阪府泉南市添田詩織議員の発言が物議を醸しています。2022年7月7日の一般質問で、市が採用している国際交流員について、こう述べています。「市民目線で言えば、中国籍の方が就くのは大丈夫か、ありえへん、怖いという声がある」

国際交流員とは、市内の小中学校に通う外国人の児童・生徒への通訳や異文化交流の授業を担当する人で、そのうち1人が中国出身なのです。ええと、何の心配をしているのでしょうか。ありえへん、怖いというのはどういう意味でしょうか。

自衛官とか警察官に外国籍の人が就くのはいかがなものか、という心配ならまだ分かります。とは言え、小中学生の外国人に授業をする国際交流員に中国人が勤めるのはむしろ適任でしょう。怖いとか、日本に住む外国籍の人達は全てスパイだと思っているのでしょうか。

人種差別撤廃条約の第1条の2は、無制限に用いられるモノではなくて、参政権など合理的な理由がある場合にのみ適用されるのです。外国人が公務員に就く制限は、ダメな根拠があるかどうかで判断すればいいのです。公立学校の教師が外国人であって都合の悪いことはないでしょう。区別というのも多くの場合、差別となるのです。

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