第50回衆議院選挙。その結果には不満はありますが、国民の投票の結果ではあるので、それは尊重します。しかし、有権者たちは何を求めて何を選択したのかは、分析が必要です。
この選挙結果で最重要なのは国民民主党の躍進です。その党首の玉木雄一郎さんは選挙前に「尊厳死の法制化」を提案しています。その理由に「社会保障の保険料の削減」を述べています。「高齢者医療と終末期医療の見直し」と「医療給付を抑える」ことで可処分所得を増やし、結果として好景気になると主張されています。これだけが理由ではないでしょうが「尊厳死」と「手取りを増やす」が若い世代にウケたのは事実でしょう。
しかし本来の意味である、尊厳死という患者の自己決定の権利とは異なり、コストの面で「無駄を省く」というニュアンスが感じられるのが正直怖いのです。
私は渡辺一史さんの著作「こんな夜更けにバナナかよ」を思い出します。筋ジストロフィーである鹿野靖明さんと、彼を支える(というか振り回される)ボランティアたちとの交流を描いた作品です。鹿野さんは少々傲慢なところがあり、深夜にバナナを食べるためにボランティアを起こしたり、アダルトビデオを観るために、女性のボランティアにレンタル店へとお使いをさせたりします。とにかく鹿野さんは、本音を隠さずに生きる人なのです。
そんな鹿野さんが生きるためには、日常を支えるボランティアだけでなく、医療の面でも少なからず費用が必要です。そのマンパワーと医療費は無駄なものだと思う人は少数派でしょう。また、相模原事件での植松聖による殺戮は許せないとする人が多数派だと私は信じています。しかし、その「高齢者医療と終末期医療の見直し」と重度障害者への医療との境界線はどこにあるのかを明確にできるのでしょうか。
玉木さんが目指す尊厳死が、可処分所得の増加のためなので、それがいずれ拡大解釈がされる可能性が大なのです。例えば、安楽死の合法化や、懲役刑の囚人への人道的処遇を建前とした安楽死など。全ての人の命は尊いということが否定されかねないのです。
そんなことを考えていると、労働党が政権を奪ったイギリスで、8兆円規模の増税を打ち出した、というニュースを目にしました。前政権の保守党が残した財政赤字を立て直すことと、NHS(国家医療制度。基本的に無料で医療サービスが利用できる)や公共サービスを拡充させることを理由に挙げています。小さな政府の保守党と、大きな政府の労働党。非常にわかりやすいのです。
日本では出来ないことだな、と思うのです。自民、公明、立憲民主以外の政党はみな消費税の減税を公約にしているのですから。イギリス労働党のように、増税してでも医療や公共サービスを守る、という政党は皆無です。
もちろん、大きな政府が善で小さな政府が悪だと言いたいのではありません。そうではなくて、明確な選択肢が無いのが不満なのです。つまり、消費税率を引き上げます。その財源でベーシックサービス、医療や教育、介護、障害者福祉を無償化します。貯蓄が無くても不安無く生きていける日本を創ります、という政党があればなあ、と思わずにはいられないのです。