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街頭に裸婦像があって何が悪いのか

読売新聞の記事がX(Twitter)にアップされていました。裸婦像を撤去せよと一部の方々が声をあげているようです。「ああ、またか」と頭を抱えました。何故そう極端なことを言うのか理解できません。

神戸市民の私は、三宮に出かけたついでに、フラワーロードにある彫刻を見に行きます。たぶん20体以上あって、その半分くらいは裸婦像です。神戸市は静岡市と並んで裸婦像が多い街だそうです。芸術に詳しいわけではありませんが、裸婦像は良いものだと思うのです。美術館へ行くのはお金がかかるし、なによりも裸婦像は太陽の下が似合うのです。

裸婦像を見て「恥ずかしい」とか「時代にそぐわない」と思うのは、芸術への冒涜に近いです。芸術家の作品を何だと思っているのでしょうか。

そういえば、過去ブログに書いたのですが、「あの子もトランスジェンダーになった」というノンフィクションの書籍が発売前の抗議で出版を潰されました。KADOKAWAの本社に、著名人(リベラルを自称している人ばかり)を含む市民がデモを仕掛けたのです。ほぼ暴力です。後に産経新聞出版により「トランスジェンダーになりたい少女たち」のタイトルで出版されましたが、何故かそちらには抗議はされなかったようです。KADOKAWAが比較的リベラル寄りの出版社だから、逆に許せなかったのかも知れません。

もう一つ。テレビで赤いきつねカップ麺)のCMが激しくバッシングされました。これも私には理解不能でした。20代であろう女性がテレビドラマを観て涙ぐみ、赤いきつねを美味しそうに食べるだけなのです。このCMには性描写があると言う人がいたのです。胸や尻を強調しているわけでもないのに。麺をすすることが性的だと言われてもねぇ…。

トランスジェンダー本も赤いきつねのCMも、たぶんほとんどの人が忘れていると思われます。そして、街中の裸婦像を全て撤去されたとしても、数年後には皆忘れ去られているでしょう。その「忘却」こそ、私は恐ろしいのです。

小説家の桐野夏生さんは雑誌「世界」(2024年1月号)で、このような騒ぎを「大衆的検閲」と呼び、「正義中毒」とも言いました。文学作品にコンプライアンスが求められていることに警鐘を鳴らしたのです。

裸婦像を「エロだから悪い」と取る人は要するに教養の問題なのでしょう。それにしても怖いのは、裸婦像などの作品を国家権力が弾圧するのではなく、一般の大衆や「リベラル」な著名人が「検閲」することです。日本の権力者は楽ですよ。ほっといても大衆は自ずから「ファシズム」に向かうのだから。

新聞記事で高山陽子教授が「公共空間に裸婦像があるのは日本だけ」とコメントしていましたが、教養のカケラも無い人でしょう。サンフランシスコには巨大な裸婦像が建てられていますし、フランスやイタリア、ギリシャにもきっとあります。アジアやアフリカも忘れてはなりません。世界の裸婦像を探す旅とか、面白そうです。

だいいち、裸婦像をじろじろと見て性的に興奮する人はあまりいないでしょう。私はじっくりと見ますけど。いえ、むしろ性的に見るのも自由なはずです。神戸駅にはアンパンマンの像があって、子どもたちに大人気ですが、私は裸婦像のほうが好きだなぁ。元は軍人の像があちこちにあって、その代わりに裸婦像を置いたそうなので、平和っていいものだなと実感できる作品なのです。芸術や表現を規制しようとする言論には闘うしかありません。

# 裸婦像