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「脱プラスチック」生活をする二つの方法

毎日新聞2021年3月7日に経済思想家の斎藤幸平さんの記事が載っていました。『人新世の「資本論」』の著者です。良くも悪くも面白い本なので、いずれ当ブログで考察したいと思っています。本の内容は、ひとことで言えばマルクス主義エコロジーを結びつけたものです。1980年〜1990年代までに少し流行っていた思想です。とっくに絶滅していた価値観だと思っていましたので、この本には驚かされました。30歳代ですよね、斎藤さん。

記事のタイトルは、『資本主義の先へ レッツ!脱プラ生活「不便」と向き合う体験』です。

脱プラ生活体験として、生鮮食品のトレイなどのプラスチック包装されているモノは買わない、それだけなので読んでいて全く面白くないのです。普通に考えて、自分が買わなくてもよそ様が買えばプラスチックゴミは減らないと思うのです。そこは「言ってはいけない」のかもしれませんが。

もちろん、マイクロプラスチックが世界中の海へ流されている問題を軽視しているのではありません。ただ、斎藤さんは都会に住んでいます。(私もそうですが)。都会生活の利便性を享受しながらエコロジーに配慮するというのは都合がよすぎるでしょう。けれども、便利な生活を保持しながら、エコロジストとしても生きるなら方法は二つあると思います。

一つはごみ収集や分別の仕事に転職することです。プラスチックゴミを分別しても、その大半はサーマルリサイクル、つまり燃やして燃料となっています。プラスチック製品として活用されるのはごく一部です。おそらく人手が足りていないので、分別されたプラゴミを再利用するための「再分別」ができないのでしょう。人海戦術が必須なのです。ですから、斎藤さんもきっと大歓迎されます。

もう一つあります。都会生活を捨てて農業を営むことです。こちらの方がオススメですね。そもそもスーパーや商店街で生鮮食品を買うからムリが生じるのです。米や野菜を作り、牛、豚、鶏を飼えばプラゴミとは無縁な生活が送れます。それに斎藤さんは学者なので、雨の日や農閑期に執筆や研究をすることも可能です。

私自身も病気がなく、土地を買える金があれば脱都会生活を目指していたでしょう。脱プラだけが理由ではなくて、どうにも今の生活は便利すぎて一種の罪悪感があるのです。

ところで、日本で生まれたプラゴミの一部はアジア各国に「輸出」されています。燃料として。

私は想像します。日本が貧しくなれば、逆にアジアからプラゴミを「輸入」する時代がくるのではないかと。人口が減少していく国が栄えたことは歴史上、例がないのですから。